ゲームの「進めないエリア」は現実にもあるという話
ゲーム制作者の意図
昔からきょうだいの影響でドラクエやFFなどをやっていた。 最近は腰を据えてRPGをやることも少なくなったが、ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドは オープンワールドの自由度とストーリー展開の綿密さを合わせた完成度の高い作品で楽しかった。
RPGには、ゲームの設計上進むことのできないエリア(マップの端など)や、 ストーリーの都合上その時点では進むことのできないエリア、 プレーヤーに対して敵のレベルが極端に高いなど事実上進むことの出来ないエリアが存在する。
毒や溶岩、強敵などを配置することで、プレイヤーが進めない場所というのは、どのようなゲームにしろ存在する。 ゲーム制作者としては、そうすることによりうまくプレーヤーを誘導しているわけである。
あらゆる可能性があるからこそ迷いも多い
いまの現実世界も、いわばオープンワールドな世界である。 職業の選択は自由で、どこに住むか・だれと結婚するか・どんな思想を持つかといったことは(少なくとも日本国では) プレイヤー自身で選択することができる。
会社員生活もよいし、慈善活動に人生を捧げてもよいし、スポーツ分野やアート分野、アウトローな世界に入るのもありだ。
また、巷には「年収○○○円達成する方法」「ビジネスで成功する◯◯の法則」「夢を実現するためのメソッド」など多くの成功術で溢れている。 このオープンワールドな世界で、われわれはそういった「あらゆる可能性」にあふれた世界に生きているわけである。
「人生、何が起こるかわからない」とはその通りである。少なくとも他人の権利を脅かさない限りは、 日本国内ではどのようなことも許される。
インジケータに気が付く
しかし、私にはこの現実世界にも超えてはならない「毒の沼」や「進めないエリア」などがあると感じている。 例えば私は完全な文化系なので、体育会系ではない。仮に体育会系の部活や会社に入ったとしたら2週間もあれば精神を病んでしまいかねない。
慣れない生活に生命の危機を感じるだろう。これは、ゲームに例えるならHPゲージが赤く点滅し警告ている状態である。 しかし、仮にそのとき巷の成功術などに傾倒していると、その危機状態を無視して頑張ってしまい、ある日突然倒れてしまうなどといったことも起こりかねない。
誰かの示した「あるべき姿」としては進むべきなのだが、それをやると自分が辛くなってしまうということに気がつくことは、大切だと思う。
人間万事塞翁が馬
人の縁も同じだと思う。
恋しくて仕方なかったのになぜか体が動かず、思いを伝えられなかったりしたこともある。 その一瞬の「ミス」が、別れ・終焉を決定的にすることがある (そういう意味では、ゲームと違ってやり直しが効かない現実世界はハードである)。
しかし、その「ミス」をした人生は失敗なのだろうか。最近私は、そうは思わないようになった。 ある種その「ミス」はストーリー進行上「進めないエリア」に足を踏み込んだだけの話だったのだろう。
どうしても、何か不思議な力が働いて動けなかった、あるいは仕出かしてしまった、そんなことも人生にはある。 必要以上に悔やまず、次なるストーリーを演じていけばいいのだと思う。「現実はゲームよりも奇なり」である。