2022-07-05 投稿

愛するとは絶対的味方であり続けるということ

愛するとは何か

愛するとは人によって意味が異なったりするもの。 それにもかかわらず、言葉としてはよく使われる。 使われ方によっては違和感を感じたりもする。 そこで、自分にとって愛するとはどう言うものかを考えてみた。

愛は相手を見捨てない

愛は相手を見捨てない。いわば無償の弁護人である。 他人と接する以上思い通りにいかなかったりイライラすることも当然あるだろう。 愛の態度においては、どんなに情けないと感じても、相手を信じることを諦めない。

愛は相手を評価しない

条件付きの愛ともいわれるが、相手を評価したり、他と比べたりというのは愛の態度ではない。 相手の状態、立場、環境に左右されず常に相手を受け入れようとする姿勢が愛である。

愛は契約ではない

愛は契約ではない。つまり支払に対して対価を求めるようなギブアンドテイクの関係ではない。 今日は土曜日だから非番です、といったことはない。常にあるものだ。

ちなみに、結婚は法に基づく契約である。問題があれば破棄することができるし、必ずしも愛が必要ではない。

愛するとは「相手の味方でありつづける」

「味方」という表現がとても良いと感じた。 贔屓にしているファンのようなものだが、冷めることはない。それがどれだけ少数派でもかまわない。 ただし、日和見で態度を変えるのは愛ではない。 また、態度であって契約ではないので、期間が定められているわけではないが、その態度を維持し続けることを決意する。

愛とは、どんなときも相手のー番の味方で居続ける態度のことだと思った。