人生に意味がなければ意味を見い出せばいいじゃない
人生の内容に意味はないが、意味を見い出すことはできる
人生ってなに。そもそも、なぜ世界はあるのか。そんなことは誰もが一度は考えたことがあると思う。 ヒトはただの生物であって、人生にたいそうな意義など元々ないことを知った時、無力感を感じた。 だが、それでいいのだ。人生に意味がないのなら、それぞれが好き勝手に人生の意味を見出せば良い。
「メタ」視点の目的
地球に生まれてヒトとして生活する。 そんな人生に意味はないとも言えるし、意味がないことが意味であるとも言える。 人生で起こる様々な出来事は、その一つ一つに意味はない。 世界は壮大な物語であり感情の授受であり混沌とした絵画でもある。 言葉は意味を持たない。言葉のもたらす有は無から生まれたのであり、万物の祖は無である。
「ヒト」視点の目的
「メタ」的に人生に意味はなくとも、「ヒト」は人生に意味を見出すことができる。 陶芸や川釣りやネットゲームに没頭しても良いし、世界を平和にするために戦争したり、貿易をしたりしてもよい。 己の信条をもとに地道な運動に一生を捧げても良いし、毎朝カフェで近所のばあちゃんと会話する生活でもいい。
それぞれの「ヒト」はそれぞれの価値観を形成して、数十年のあいだにその人生に何らかの意味を見出す。 その意味に沿って精一杯生きることができるなら、その「ヒト」としての一生に満足を見出すことが可能だろう。
「私の人生」視点の目的
「私」の人生の目的を抽象化すると、この人生では「誰かからの尊敬を得たい」「誰かや何かの役に立ちたい」「お金や時間に縛られず豊かに過ごしたい」。 そして、現世の私に与えられたチカラは「ITスキル」、「目的に邁進する力」、「なんとなくうまくいく運」である。 さらに、個人的な性格からくる「目立ちたくない」「重い責任や重圧を受けたくない」という制約がある。
これらの条件を勘案して、「ヒト」としての「私」の人生を意義あるものとするためには 「ITスキル」を活かして本業や副業によって「お金や時間に縛られ」ない程度の収入を得て、 サービス開発や情報発信をすることで「誰かや何かの役に立ち」、継続し拡大することで「目的に邁進する」。 最終的に「誰かからの尊敬を得」られればこの人生に一定の満足を得られると考えられる。
「私の日常」視点の目的
現在私はIT系の会社員であるが、さらにそのスキルを伸ばし、お金や時間にゆとりができる程度まで所得を上げたい。 さらに、このブログや新しいサービス・アプリによって誰かの役に立てるようにリソースを投入していきたい。 単独行動が好きなので、あまり手を広げられないからアングラ、ニッチ分野に焦点を当てるのがいいと思う。
そんなところで、家族や、友人や、仕事仲間など関わる人たちと共に生産的な時間も退廃的な時間も楽しみたいと思う。 自分の子供らの世代には親や老人の理想に縛られずに、彼ら自身が見出した人生の意味を生きてほしい。