絶対にがんばらない習慣
「習慣の力」はもう聞き飽きた
巷のビジネス本なんかには、「習慣を変えたら人生が変わる」「成功した者がしている◯◯の習慣」などといった本が溢れている。
継続の力が圧倒的な差を生むだとか、一流のスポーツ選手やアーティストは毎日練習を欠かさないだとか、そんな話である。 正直なところ、私たちはこういった話は小さい頃から耳にタコができるくらい聞かされているのだ。
良い習慣を身につけたほうがいいのは当たり前だ。ところが継続することが難しいから、それができれば苦労はしないぜ、という話なのである。
それが良いことは知っている
「やりたい人10000人、やる人100人、続ける人1人」なんて言葉もあるように、何かを継続することは難しい。
いっぽうで、自分が尊敬している人がやっている習慣を目の当たりにした時、ああ、やっぱりやっているんだなと感じるのである。
私もそうしたほうがいいのはわかっていながら、たとえば朝起きて勉強などを数日や数週間やってみて、結局しんどくなってやめてしまうのだ。 「ああ、また失敗してしまった」と悔やんでいつもの日常に戻っていくのである。
ゲームのログインボーナスは欠かさない
ある時、あるスマホゲームでアイテムを手に入れるために、毎日そのゲームを起動していた。
結構な日数を連続でログインしないと目的のアイテムがもらえないので、ちょっとしんどい時もあったが、なんとか継続した。
そんなことを何回も繰り返して、気づけば半年以上そのゲームにログインし続けていた。 だんだん慣れてきて、朝起きて体が自動的にログインボーナスを獲得するくらいまで無意識のうちに実行できるようになった。
目的意識がはっきりしていれば、継続はできるんだということを知った。
毎日GitHubの草を生やすことに
ちょうどその頃、Rubyの開発者であるまつもとゆきひろ氏が、twitterで以下のようなツイートをしているのを見た。
本日もコミットしたので、2021年は1日も欠かさず、GitHubに草をはやした。勤勉。
Yukihiro Matz (@yukihiro_matz)
ちょうど、年末のタイミングだったのもあり、このツイートにピンときた私は、 翌日の元旦からGitHubのコントリビューションログ、いわゆる「草」を生やし始めた。
その結果2022年は、毎日草を生やすことに成功した。
実際は、2回ほどコミットすることを忘れて寝てしまったことがあったのだが・・・。
ちょっとズルいが、日本の時差を利用して翌朝9時までにタイムゾーンをGMTにしてコミットすることで継続切れを回避した。
(個人的にやっていたので、そこは自分ルールを適用させてもらった。ロンドンではまだその日だったのだから。)
継続するための鉄則は、「どんなに小さくてもコミットさえすればOK」とハードルを可能な限り下げたことだ。
正直、コミットすることが思いつかない時はちょっとしたコメントを付け加えるとか、文章を若干リライトするとか、その程度の日もあった。 また、プルリクをマージするだけの日もあった。
改良していないので意味がないという見方もできるが、そこは重視せず継続することにいちばんの価値を置いていた。 小さくても「継続できている」「コントロールできている」という事実が、モチベーションに繋がるのである。
体重、読書も習慣化された
2023年は、ダイエットのために毎日体重を測ること、少しでも本を読むことをしている。 初めて数週間が経つが、徐々に毎日のルーティンに馴染みつつある。
そして、自信もつき始めてきた。「自分で決めたことは大抵のことが達成できるだろう」という気持ち。 それを保つために、今後も習慣を継続していきたいという気持ち。
やっていることは数分で終わるような小さな作業である。 ただしそれを毎日続けることで、やがて大きな結果につながっていくという期待が持てるようになったのである。
無理は絶対にせず、続けてさえいれば道は開ける
私の最初の習慣はスマホゲームのログインボーナスを手に入れることだった。
たとえ好きなゲームであれ、毎日欠かさずやるというのは意外と負荷がかかるものだ。 ただし、継続していれば、それが無理なくこなせるようになり、やがて大きなことを成し遂げることにつながるかもしれないという希望が湧いてくる。
ぜひ、自分の好きなことから、そしてとても小さいことから、毎日欠かさずやることにトライしてみてはいかがだろうか。